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大阪高等裁判所 昭和35年(ネ)349号 判決 1964年3月23日

控訴人

佐藤工業株式会社

右代表者代表取締役

佐藤欣治

右訴訟代理人弁護士

和仁宝寿

大沢憲之進

鍛治良道

被控訴人

米田三郎こと

荒川伊勢

被控訴人

安東智世

右両名訴訟代理人弁護士

小林寛

右両名訴訟復代理人弁護士

久保井一匡

主文

原判決第三、四、五項中、被控訴人安東智世こと青山憲二と控訴人との間の請求に関する部分を取消す。

被控訴人安東智世の訴を却下する。

被控訴人米田三郎こと荒川伊勢と控訴人との間の請求についての控訴を棄却する。訴訟費用中、被控訴人安東智世こと青山憲二と控訴人との間に生じた部分は、第一、二審ともこれを青山憲二の負担とし、被控訴人米田三郎こと荒川伊勢と控訴人との間に生じた控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決中控訴人敗訴部分を取消す。被控訴人等の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人等の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出援用認否は

被控訴代理人において、事実関係につき、

一、被控訴人荒川伊勢は米田三郎なる名義を用いて原判決添付別表第一の8ないし15の約束手形を所持していたので、米田三郎なる氏名で原告となり、また青山憲二は安東智世なる名義を用いて右別表第一の16ないし18の約束手形を所持していたので、安東智世なる氏名で原告となつたものである。右安東関係について言えば、青山が安東なる別名を称して右手形三通の取立を神戸銀行に委任したが、右手形は不渡となつて戻つて来たので、預金口座には入金されず、結局青山は銀行における安東名義の預金口座を全然利用しなかつたことになる。この場合、右手形は決して安東こと荒川伊勢に譲渡されたことにはならない。安東なる名義は、単に荒川伊勢のみが用いることのできる専属的なものではなく、青山でも、その他の第三者であろうと、これを用いることは禁止されていないから、使用して差支なく、従つてこれが使用によつて荒川伊勢が行為したことにはならない。右手形の不渡後においても、その受取人として表示された安東なる名称(さきに取立に際し青山が自己の名称として補充記入したもの)を青山は自己の表示として取扱い、荒川伊勢も、右を青山の表示として諒解していた。それゆえ本訴提起の当初から安東智世なる名称は青山憲二を表示していたものである。刑事判決(被告人荒川正之)においても、右各手形偽造行使の被害者は、それぞれ米田分は荒川伊勢、安東分は青山憲二と判断されている。かくの如く本件当事者の変更は、その同一性を害しないから可能である。

二、本件手形の振出交付行為をした荒川正之は、控訴人の大阪支店長の機関として手形振出の職務を行つており、右大阪支店において同店備付の手形用紙、ゴム記名スタンプ等を用いて為したものであるから、支店長の機関としての行為であり、控訴人の事業執行につきなされた行為に該当する。

三、本件手形上の権利取得につき、被控訴人等には何等過失はない即ち、これまで控訴人が振出していた約束手形は、期日において何の故障もなく支払われていたし、従つて手形取得者の注意義務は漸次軽減せられ、調査は不必要になつて行く筈であるところ、本件手形につき訴外矢野義雄は控訴人大阪支店長に確かめたに対し、支店長は控訴人振出の手形に相違ない旨確答したもので、被控訴人等としては、それ以上に、控訴人の従業員に不法行為があるか否かの点まで調査すべき必要はなかつたものである。

と述べ、(立証省略)

控訴代理人において、事実関係につき、

一、当事者の確定には、意思説、行動説、表示説の三説があるが、何故に原判決が、今日我が国及びドイツの通説となつている表示説をすてて、曖昧な標準である行動という概念を採用し、訴訟の基礎を不安定にしなければならなかつたか理解に苦しむところである。表示説に従えば、訴状によつて原告を決定すべく当事者の表示が重要な手掛りであり、其処に原告として安東智世の表示があり、安東智世が荒川伊勢の別名であれば、原告は荒川伊勢でなければならない。

二、本訴の請求原因から考えても、安東名義で所持する手形の手形請求権者は、荒川伊勢であつて青山憲二ではない。即ち、被控訴人は青山が荒川の口座である安東なる名義を借りたものであると言うが、安東の口座が荒川のものであるとするならば、借受は譲受ではないから、右口座に依る権利者は荒川のままであつて、青山は権利者とはならず、殊に表示を重んじ、形式を尊重する手形関係においては、手形権利者は完全に安東の表示に該当する荒川となるもので、銀行では右手形決済による入金を安東即ち荒川のものとして保管し、その口座に前からの預金があれば、これと混合されて、特定し得なくなる。荒川と青山との間には内部関係として、手形自体につき隠れた取立委任関係即ち信託裏書関係が存するに外らない。そうすれば、右安東名義の手形の権利者として外部に対し正当な原告適格を有する者は荒川たるべく、青山ではない。予備的請求原因についても、不法行為の被害者は手形権利者たる荒川であるべく、それが仮りに青山であるとしても、本位的な手形金請求訴訟の原告が荒川であれば、青山はこれに予備的請求の原告たり得ず、別訴に依る外はない。

三、米田三郎関係についても、その名義が荒川伊勢の銀行取引上の別名であるという点について、確実な証拠は存しない。米田が虚無人であることは明らかとされても、それが何びとの別名であるかは明らかでなく、むしろ右は荒川が課税対策上、自己に負担を課せられない別個の人格者を仮設したものに外ならず、それは荒川以外のものであつて、決して荒川自身にはならない。虚無人の創設による納税義務免脱の企図は公の秩序に反する行為であるから、自己の権利を主張する場面においてのみ、これを自己の別名として法の保護を受けようとすることは許されない。

四、氏名冒用訴訟において、訴状記載の当事者と異なる者が現実に訴訟を起しているとすれば、表示説に従えば、その被冒用者が当事者であつて、冒用者は当事者ではないから、この事実が明らかとなれば、無権代理による訴訟提起に準じて、その者の訴は却下すべきである、即ち、本件において、青山は荒川伊勢の氏名(安東)を冒用して訴訟を提起したものであるからその訴は却下せらるべく、荒川伊勢も米田の虚無人名をみだりに自己の名として訴を起したものであるから、その訴も却下を免れない。

五、荒川正之の本件手形偽造行為は、次の事由により、控訴人の事業の執行につきなされたものとは言い難い。即ち、荒川は右手形偽造も単独で又は主動的立場で行つたものではなく、富士工業株式会社の取締役社長木本好雄、経理担当取締役天野篤が同会社の資金難を解決する目的で、同人等の共謀行為に右荒川を唆かせて加担させたものであり、右は専ろ同会社の私利を図るためのもので、控訴人とは何等の関係もなかつた。のみならず元来右荒川は単なる事務補助者で手形振出の権限のない者であるから、手形振出は同人の職務とは無関係であり、行為の場所も富士工業株式会社や金沢文具店等で控訴人方ではなく、使用した手形用紙、記名ゴム印等もすべて控訴人備付のものではなく、荒川はこの手形用紙に振出日、支払期日、金額を記載しないままで天野に交付し、天野においてこれ等を補充して偽造を完成したもので、かくの如く、本件手形偽造行為は、控訴人の施設、機構の範囲内で行われたものではないから、外形的に見ても、控訴人の職務執行と認められない。それゆえ控訴人には使用者責任としての損害賠償義務はない。

六、仮りに控訴人に責任があるとしても、被害者と称する被控訴人等には次のような過失があるから、過失相殺により、損害額に斟酌されなければならない。即ち、被控訴人等は、本件手形を富士工業株式会社より割引を求めた場合に、高利による割引金融のための手形が何通も振出される事態が再々繰返されることは、会社の経営の可能性を疑い、富士工業が控訴人とかゝる取引関係を真に有しているか否かを疑うべき場合であるにも拘らず、単に銀行又は控訴人の最下級の社員(それが不法行為者自身であつたとすれば、全く無意味の調査となる)に対して電話問合せをしたのみで、直接振出権限のある者又は支店長に対して調査、問合せを怠つたものであつて、右の注意義務の程度は手形割引の回数の重なるに従つて、次第に増加していた筈のものであるから、被控訴人等は、平常、手形取扱者として要求される注意義務を欠いていたもので、過失の責を免れない。

と述べ、(立証省略)ほか

原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

なお当裁判所は職権で被控訴人荒川伊勢本人を尋問した。

理由

先ず職権を以て本件における当事者の確定につき審按する。

本件口頭弁論の経過に依れば、大阪市東区今橋二丁目二番地安東智世は原告として、原判決添付別表第一の16ないし18の三通の約束手形の所持人として有する手形債権に基き手形金請求、予備的に不法行為に基き損害賠償請求の訴訟を提起したが、原審において昭和三二年一〇月一六日付及び同年一二月二七日付、いずれも昭和三三年一月三〇日陳述の訴状並に請求の趣旨訂正申立書により、右原告安東智世は青山憲二と同一人なりとし、原告の氏名を安東智世こと青山憲二と訂正すると共に、右安東の請求を青山の請求としてその申立を訂正することを主張し、その後当審に至るまで青山憲二が右請求についての原告及び被控訴人としてその訴訟代理人小林寛に依つて訴訟行為を為し来つたことが、記録に徴し明らかである。そして右青山が、原告安東と同一人なりと主張する根拠は、安東は青山の銀行取引上の名称であること、尤も右安東なる名称は元来荒川伊勢が銀行取引上使用していた別名(仮名)であつて、神戸銀行において右名義の預金口座を有していたものであるが、荒川伊勢が前記手形の所持人となつた青山に対し、右手形の取立につき、右荒川伊勢の安東名義口座を使用することを許容したので、右手形の受取人として安東智世名を補充し、右安東名義口座に振込み取立委任したもの(但し、右手形は不渡となつたので、安東名義口座には何等預金の入金は生じなかつた)であるから、右手形に関する限りにおいて、安東は青山の別名となつたものである、というに在る。しかしながら、右主張に基く右安東名義の使用関係自体について見ても、取引相手方たる神戸銀行においては、右安東名義が荒川伊勢の取引上の別名であることは諒承していたとしても、これを重ねて青山が使用することを諒承ないし許容したことについてはその主張も立証もないから、青山の右安東名義使用なるものは、その相手方の知らざる使用であり、相手方に対する関係ではその取引の相手を誤らしめる行為であつて、それは、もし詐称でないとすれば、荒川伊勢に対して為した手形の信託行為ともいうべく、少くとも公然たる取引別名の使用とは解し難く、いわんや青山が訴訟上使用し得べき別名(仮名、通名)の域に達しないことは、その主張自体によつて明白である。この理は、右安東なる名義が荒川伊勢の専属的名称であるべきか否かによつて左右されるものではない。従つて、右主張によつては、安東智世なる名称は、むしろ荒川伊勢の別名とは認められても、青山を指す名称として、安東が青山と同一一の名称とは認めることができない。

ところで、訴訟は真実を求める審判の場であつて、取引や社交の場でなく、駈引や虚飾を許すべきでないから、訴訟当事者は必ず誠実にその本名を以て訴訟行為を為すべく、通名や仮名を以て終始することは許されないが、このことは、訴訟の提起にあたり誤つて通名、仮名を用いた場合に、その訂正を全く許容しないことを謂うものではなく、それが本名でないことが判明次第、その真正な名称に訂正する余地は認められて然るべく、否むしろ、速かに当事者より自発的に本名への訂正が要請されるものというべきである。また、訴訟における当事者の特定は、少くとも原告については、自己に関する事柄である以上、その表示の正確は当然に要請せられ、かつ、意思と表示と、事実的行動と表示との喰違いを自らが積極的に審判を求める場において許容すべき理由はないから、先ず訴状において誠実に為されたと考えるべき当事者の表示、即ち当事者氏名(補充的資料として職業、住所等)によつて決定せらるべきものと考える。そうすると、本件における原告安東智世は少くとも右青山とは別人であつて、むしろ後述の通り米田三郎なる名称で訴訟を提起した共同原告荒川伊勢と同一人と見る余地はあつても、青山を以て同人主張の手形請求につき本件原告となつたものとは認めることはできず、従つてその原告氏名の訂正は、当事者の変更となるから許容することはできない。尤も、前記の事情によれば、右手形については、事実上は青山が安東として行動し、原告として訴訟代理人を委任して訴訟提起行為をしたであろうことは、充分推測できるけれども、訴訟において、かゝる表示に反する事実的行動者を以て当事者(原告)を確定することは、当裁判所の是認しないところである。

以上の理由によれば、右三通の手形請求に関する青山憲二の本件訴訟行為は容認することができず、反面、安東智世を以てする請求については、控訴人は終始その当事者氏名訂正に異議を唱えているから、控訴人の右請求についての控訴は、青山に対するものでなく、あくまでも安東智世を称する者に対する控訴(従つて一応控訴自体は適法)と認むべきところ、本訴の初めに立帰つて見るに、青山以外に右安東智世に該当する者(恐らく荒川伊勢)が安東として右請求について訴訟行為を為したことについては何等の主張、立証がないから、右安東を原告とする請求は、結局、前記青山の主張通りの事実経過で、青山が安東を称してこれを為したものと推認すべく、右は要するに青山の他人氏名を冒用する訴訟であつて、真に安東に該当する本人よりは何等実質的な訴訟提起に必要な訴訟行為はなされていないものと認むべく、その訴は当初において不適法といわねばならない。よつて、右訴を適法としてその請求の一部を認容した原判決は失当であるからこれを取消し、その訴を却下すべきものとする。

次に、大阪市東区今橋二丁目七番地米田三郎が原告として、原判決添付別表第一の8ないし15の八通の約束手形につき、その手形金請求、予備的に不法行為による損害賠償請求の訴訟を提起し、原審においてその原告としての氏名を米田三郎こと荒川伊勢と訂正すると共に、右米田の請求を荒川伊勢の請求としてその申立を訂正することを求めたことは、本件記録上の弁論の経過に徴し明らかであるところ、右米田なる名義が、荒川伊勢が銀行取引上常に使用していた別名であることは、(証拠)によつてこれを認め得べく、右に反する証拠がないから、右原告(従つて被控訴人)氏名の訂正は許容せらるべく、右手形に関する請求については、当初より被控訴人荒川伊勢がその当事者たりしものと解して差支ない。

よつて同被控訴人の請求の当否について按ずるに、その原審で棄却された第一次的請求たる手形債権に基く請求(表見代理人の主張を含む)については、不服申立がなく、当審弁論の対象となつていないから、予備的請求としての損害賠償請求についてのみ検討すべきところ、当裁判所は、右手形が控訴会社の被用者荒川正之によつて偽造発行されたものであり、控訴会社がその使用者として右荒川の不法行為について民法第七一五条による損害賠償として原判決認定の通りの額の債務を負担すべきものであり、又右債務に対する控訴人の消滅時効の抗弁は理由のないものと認めるものであつて、その理由は原判決説示の理由該当部分と同一であるから、右理由部分をここに引用する。

又控訴人は、控訴会社は右被用者たる荒川正之の選任監督につき過失がなかつたため、使用者としての損害賠償義務がない旨、及び手形取得者たる被控訴人側にも過失があるから過失相殺せらるべき旨抗弁するのであるが、前者については、控訴人の全立証によつても本件手形偽造が控訴会社につき右荒川の選任監督につきすべての注意義務を尽した上での不可抗力的な事故であつたことを認めるに至らず、却つて、右荒川正之は昭和二七年三月頃から昭和二八年五月頃まで前後二二〇回に亘り、合計二二〇通の約束手形を偽造し、その間控訴会社は同人を大阪支店の会計係として手形発行の準備的ないし事実的行為を担当させていたのみならず振出権限者たる大阪支店長取締役北村平作の記名スタンプ、印鑑を共に荒川に命じて金庫に保管させ、荒川の意思如何によつては充分盗用可能の状態に置いていた結果、前記長期間内に同種犯行を反覆累行させ得たものであつたことが、(証拠)に徴して認め得られ、少くとも右荒川の執務の監督については、控訴会社に相当の過失が推測し得られるから、右無過失の抗弁は到底採用し難く、また、被控訴人の過失については、金融業者として、通常の場合において、割引手形の取得にあたり一々その振出原因たる取引関係の存在の真否や振出会社の経営存続の可能性を疑つてかゝるべき注意義務はなく、従つて、振出人に対する問合せを為すについても、その相手方につき格別の注意を用いねばならない必要もなく、これらの行為は、手形取得者の支出資金回収についての要心の程度を出でないものであるから、その方法如何について、手形偽造を覚知し得べき点についての不注意の問題は生じないものというべく、過失相殺の原因となるべき過失は、その主張自体からも認める余地はない。よつて右抗弁も失当である。

そうすれば、被控訴人荒川伊勢の予備的請求として、金三、六八二、九〇〇円と、これに対する昭和二八年四月一一日以降完済までの年五分の割合による遅延損害金の請求を認容した原判決は正当で、これに対する控訴は理由がないから棄却を免れない。

よつて訴訟費用につき民事訴訟法第八九条を適用(被控訴人荒川伊勢と控訴人との間)、第九九条を類推適用(被控訴人安東智世と控訴人との間)して、主文の通り判決する。(裁判長判事岡垣久晃 判事宮川種一郎 鈴木弘)

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